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2014年8月26日 (火)

どんなときも

 うまく行かない時って、本当に何もかもうまく行かないものだgawk
自分でも唯一分かっていること・・・それは、三つ重なるとダメ。
もう、なーんも手につかなくなる。

重なることというのは何も出来事に限ったことではなく、自分の意識の問題だったり。
事実は起こっていないのに、誰かの言葉に囚われたり、これから9割方起こるであろうことに今からヤキモキしたり形は様々だけど、とにかく三つ。

負の感情。

負の感情の反対語を調べたら、正の感情とか「愛」だとか出てきたけど、そうなのかな。
私が思うに反対語は「無関心」だと思う。
正の感情を常に保つことなんてとてもじゃないけど出来ないし、或いは愛が全てを解決してくれるなんて到底思えないし。
勿論、愛には様々な形が有ると思うけれども。
夫婦愛、親子愛、兄弟愛、友情だって愛に等しい、こともある。
誰かの言葉に、手に、救われる時もある。
でも、自分で防御するのならそれは無関心であることしか無いんじゃないかなぁ。

ならばあらゆることに無関心で居られるのか。
これも難題(^^;)

私は怒りのエネルギーで生きていると言われた。

・・・少しだけ傷ついた。
そりゃ、頻繁に怒っているかもしれないけれど、怒りの程度がどの程度かは自分で分かるしコントロール出来ている。
本当は怒りたくなんかないし・・・そもそも、怒っていると思われているようだが、正直、実はあんまり怒ってはいない。
だって、私が怒ることで収まることだって有るんだもの。
誰かが怒り出せば、実はもっと怒っている人も先手を打たれたと思い、怒る、キレる機会を逃すでしょ。
酒宴の席で、自分が酔いそうになった時に、半端無い泥酔者を見て酔いが醒めるような感覚。
1対1じゃそうは行かないけれど、組織の中にあっては、怒り役・怒られ役・仲裁役がなんとなく決まって、そこに色んなエキストラが入り丸く収まることが多い。

けれども言われて、「あー・・・凹んだ」と気持ちを引っ張るようになるのであれば、無関心になるしか無いのか。

そんな気持ちを抱えたまま、ある人の言葉を。
「怒」は時に原動力に成り得ると。
「負の感情」もいつしか未来に繋がるのだと。

「怒」を原動力にした経験は未だ無いのだけど、負の感情については頷ける部分が有る。
負の感情って、きっと他人から見たらとても小さいことが多いと思う。
自分が言われたり、何かをされて嫌だなぁって思ったこととか。
そういったことって、結局主観の問題だから各々受け止める事の大きさが違うのよね。
でも、自分が嫌だなぁって思ったことは絶対に言ったりやったりしないの。

もしかしたら負の感情を沢山持った人ほど、神経をすり減らして、もしかしたらスケールが小さい、なんて言われることも有るかもしれないけれど、誰かを傷つけたり不快にさせるよりはずっといい。

だから負の感情と上手に付き合って行くにはどうすれば良いのかを考えることにした。
自分自身、きっと今まで誰かを傷つけたり不快にさせたりしたことも沢山有ったと思うのだけど、感情をコントロールすることで少しでもそういったことを少なく出来るよう、努力したいな。

そんな夜、パルティータ6番弾いたら泣けてきた~~~。
気持ちを鎮めたい時にはよくバッハを聴くのだけど、バッハは弾いても気持ちがとても落ち着く。

結局、どんなときも一番のお薬は音楽なのかな。

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